こだまでしょうか


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。


「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。


「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。


そうして、あとで
さみしくなって、


「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。


こだまでしょうか、
いいえ誰でも。


どれほど多くの人がTVから流れるUAの朗読でこの詩を聞いたでしょうか。
これも金子みすゞさんの童謡です。

この詩で私たちは決して一人ではないということ必ず相手がいるのだということがわかります。
そして口に出した言葉は間違いなくこだまして返ってくるのだということ。
言葉にはそれほどの力があるのだということもわかります。
私が先生のお話の中で一番今の私にズシンときたのが、
「辛いとき」の話。
辛いという漢字を書いてみてください。

漢字の真ん中の線をずーっと伸ばして見てください。

その線は地面を突き抜け果てしなく落ちていきます。

終わりはありません。
辛い時は、つまりこの様な状態です。
その辛い状況を止めるためにはどうすればよいでしょうか。
そこに一本線を引き、地面を作るのです。
それは自分自身で「辛い」ということを理解し自分の中でその状況を認めてあげることです。

そうすると人は地面の上に立つことができるのです。

自分自身で立つ。

するとそこでその辛い思いはストップするのです。
そしてその地面の線をひょいと上に持ってくると
「幸い」という字になります。

もしも辛いことがあれば鏡に向かって「ツラいよ~」と自分に言うのです。
そしたらその鏡も「ツラいよ~」と返してくれます。
鏡の中の自分はいつも自分の言葉をまっすぐ受け止め返してくれます。
それを何度か繰り返していると不思議と辛い気持ちが薄らいでいくものです。
そして「辛い」から「幸い」に変わるのです。
それがこだまするというということ。


ただこの「幸」という字。
これは一人だけの幸福。
本当は「倖せ」が正しいのだとおっしゃっていました。
にんべんが重要。
相手がいることで倖せ。これが本当の幸福だと。
ただしテストで「倖福」と書くと今の日本では×になります(笑)


私がここ数日で行なっていた手紙を書く、大声で叫ぶなどの行為は、
どこかで自分を認め、再び立ち上がろうとする前向きな行動だったのでしょうか。
自分自身の中のこだまを聞こうとしていたのでしょうか。


つづく