相手を受け止め理解するということはまなざしを下げることだといいます。
実は私たちはすでに中学時代にこのことを学んでいました。
「understand」という英単語。
もちろん日本語では <理解する>誰もが知っています。
でもこの単語の本当の意味を知っている人は少ないかもしれません。
「understand」は「under と stand」に分けることができます。
直訳すると「下に立つ」。
つまり理解することは人の下に立つことだったのです。
それなのに私たちは上からのまなざしで相手を理解したように思っていることはないでしょうか。
会社でたとえば部下の「おはようございます」というあいさつにちゃんと「おはようございます」と返しているでしょうか。
子供に対してもそうです。
例えば、子供がけがをする「痛いよ~」と泣く。
すると最近の大人は「痛くない大丈夫大丈夫」という。
すると子供は受け止めてもらえなかったという気持ちだけが残る。
だからまず「痛かったね~」と声をかけることが大事。
それだけで子供は受け止めてもらえたことに満足するのです。

まなざしを下げれば、相手の言葉にしっかりこだますることができる。
「こだまする」このことが今の私たちにどれほど大切なことか。
相手に届けようとする思いがどれほど大切なことか。
ただこの相手に届けようとする思いも決して自分が先ではいけません。
まず相手があってのこと。
そのことを金子みすゞさんは次の童謡で教えてくれます。

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい


題名は「私と小鳥と鈴と」
でも最後にはちゃんと「鈴と小鳥とそれから私」
順番が変わっています。
まず相手がいる。
それも鈴という一般的には命があるとはされない鈴という物に対しても彼女のまなざしはかわらない。

私が相手に「どうせ理解してもらえない」と思ったこと
「なぜ理解してくれないのか」と怒ったこと。
そういう気持ち自体、「私」というものが最初にあって相手を見下ろしていたのです。
「私」と「あなた」じゃなく「あなた」と「私」。
それが大事だいうことをこの歌から学びました。

人間関係は、実際にはそう簡単なことではないです。
いろんなことを学んだ大人ならもっとスムーズになるんじゃないかと思うけど実際には逆で、
大人になればなるほどに人間関係はどんどん難しく複雑になります。
なんで?と言うような理不尽なこともいっぱいあります。
だからこそいつも努力が必要です。
少しまなざしをさげてみること。

それだけで周りも変わります。


また時間があったら金子みすゞさんの童謡を紹介したいと思います。